仙台フィルハーモニー管弦楽団
第190回定期演奏会



2月28日、俺はソルフェージュの練習を終えた直後、高速バスで仙台へ向かった。
競馬場前から出る臨時の高速バスは、競馬新聞を持ったギャンブラーで埋めつくされていた。
煙草の臭さがきつく、周りは親父だらけで俺は場違いの感にかられた。ただそれを、目を閉じて
現実世界から逃れる=寝ることによって、その違和感をもみ消した。

仙台駅で同じ梅響の何人かと合流し、その後地下鉄に乗ること約10分。旭ヶ丘で降車し、
間もなく会場である仙台市青年文化センターに着いた。

そこで俺たちは、予想外の収穫を得た。ロビーで、仙台フィルメンバーの何人かで構成された
室内楽団の演奏を聴くことができた。弦楽器四種と、木管+ホルンという構成だった。
そもそも室内楽というものを身近で聴いたことのない俺にとっては願ってもない好機だった。
聞いたことのないエルガーの曲だったが、何ともVnの音色が爽やかで良いものだろう。
もちろんVnだけでなく、9種類の楽器が、代わる代わる旋律に顔を出し主張していく・・・。
それらの絵の具は、時間的で空間的なアートをとどめることなく描き続けた。
アートが完結し、拍手が彩りを添えると、なんだか寂しい気持ちがした。


俺たちが座ったのは、左の前のほう、つまりVnの目の前だった。ピアノの白黒の鍵盤がよく見えた。
しかし、ピアノが大きな黒い影となり、コントラバスへ向ける視界を遮っていたことに対し、
CbのS田は不服そうだった。
これからは、曲の感想を書いていきたい。


●陳 銀淑(チン・ウンスク)ピアノ協奏曲第一番

予想していた通り、現代曲だった。俺も以前こんな音楽を聞いたことがあった。
ビート感が全くなく、無秩序に音が重ねられていく。不協和音とはいえ、ストラヴィンスキーなど
のような音楽的な美しさが感じられない。無論、旋律美なども求めようがない。
弦楽器もやたらハーモニクスやトレモロばかりが目につく。確かにこれは演奏者の技量が試される
大曲である。しかしそこに「音楽」はあるのか?
俺も最初はネガティブなイメージばかり焼きついた。案の定ObのS太郎はその演奏を目で見ること
があなりなかった。俺もピアノの超絶技巧にだけ見とれていた。

しかし後で考えてみた。果たしてこれが「無秩序」なのか。確かに同じような曲想が続く。しかし
全くの一致ではなかったはずだ。微小ながらも高揚したり停滞したりしながら、四次元と表現して
おかしくないような不可思議な音の空間が形成されている。「無秩序」と表現するにはあまり
にも適切ではない、ポジティブな開放感があるのだろう。
しかし、現代の音楽論は高度になりすぎた。ただでさえクラシックでも一般的には解されないのに、
それよりさらに難解になると、民衆も興味を示さなくなるのは明らかだ。
「音楽専門家にしか愛されない音楽」を、現代作曲家は作り続けなければならないのだろうか。
しかし今はまだこの音楽革命の途中段階である。このような現代音楽が世間一般に浸透するのか
という問題は、もしかしたら時間があっさり解決してくれるかもしれない。


●ラフマニノフ 交響曲第2番
俺はこれを聴くために、わざわざ煙臭い親父と一緒のバスに乗って仙台まで来たのだ。
並々ならぬ緊張と期待が入り混じり、心拍も早くなっていった。

入場してきた時、2プル表にいた西洋系の外国人の背の高さには驚いたものだった。
そして演奏開始。もう俺は震えが止まらなかった。憧れのラフ2を生で聴けた瞬間、それは
大好きなアーティストのライブに初めて行った時のそれに非常に近かった。
2楽章の弦の刻み、3楽章のクラリネットの甘い旋律・・・感動してもし足りないくらいだった。
そして仙台フィルの技術の高さにも感銘した。あの大曲を、ここまで緻密に、大胆に民衆に伝え
ることができるとは。コンサートマスターの暴れっぷりも見ていて気持ちよかった。
ただ静かになった時の客のいびきにはキレかけた。別にピアコンの時には気にならなかった
のだが。皆さんも、いびき等には充分気をつけていただきたい。くしゃみも我慢するくらい、
紳士的な態度で演奏会は聞くべきだろう。



帰りは普通の高速バスで帰ってきた。家に着いた時、時計は11時をまわっていた。
俺と一緒に行ったくれた梅響の友人たち、お互いお疲れ様でした。






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