ホルン

予告したので(時期は遅れましたが)現梅響ホルンパート紹介です。(パートはボロ2のときの
ものです。)


2nd   S1
明治十五年(1882年)、山形県生まれ。号は童馬山房主人。歌人。医学博士。雑誌「アララギ」
同人。作品としては、歌集「赤光」(大正二)、「あらたま」(大正十)、「ともしび」、
「小園」、「白き山」、「寒雲」、「暁紅」、「白桃」、歌論「短歌写生の説」、「小歌論」、
「童馬山房夜話」、随筆「念珠集」「不断経」、評釈研究「柿本人麻呂」、「万葉秀歌」、「源実朝」、
「正岡子規」がある。伊藤左千夫、長塚節(たかし)、島木赤彦らに並ぶアララギ派の中心人物。
歌風は、写実的万葉調で、伝統的な形式の中に鋭敏な近代的情感を盛って独自の歌境を開いた。
昭和二十八(1953)年没。現在に至る。

ひた走るわが道暗ししんしんとこらへかねたるわが道くらし


3rd   W
寛政五(1793)年、江戸生まれ。田原藩家老。絵師。幼少の頃より田原藩邸に出仕。同藩邸右筆
役高橋文平の紹介により、儒学を鷹見星犀(のちにS2)に、絵画を谷文晃に、そして蘭学を吉田
長淑に学ぶ。蘭学と絵画に強く惹かれ、長崎遊学を考えるが、田原藩重役や家族に反対され断念。
迷走の時代を過ごすが、シーボルト来日の報せを聞き、彼の心をかき乱したところへ吉田長淑の没の
報せも受ける。長淑の墓前にて、高野長英との運命的な出会いをする。数年が経ち、小関三英との出会い
や、長英との再会を経て、尚歯会を結成。天保の大飢饉対策などの藩政をこなしつつ、大塩の乱、モリソン
号事件などへの幕府の対処に対し、他の尚歯会のメンバーとともに、強い反感を抱くようになる。その態度
が幕府の気に障ったのか、天保十(1839)年、いわゆる蛮社の獄が起こり、執居を言いつけられる。
二年間堪えたが、結局自刀。現在に至る。


4th   M
明治三十三(1900)年、大阪府生まれ。詩人。詩集に「測量船」、「南窗集」、「間花集」、
「駱駝の瘤にまたがつて」などがある。また、堀辰雄、丸山薫らと「四季」を創刊、”四季派”
と呼ばれるグループを形成して、詩壇の主流となった。作風としては、文語と口語を併用した種々の
詩体が試みられ、特に散文詩に新しい境地がひらかれている。明治三十九(1964)年没、
現在に至る。

ひとりなるわが身の影をあゆまするいしのうへ


1stアシ   S2
岐阜県岩村藩生まれ。昌平黄(昌平坂学問所)塾頭として、Wや、佐久間修理象山、安積良斎、
横井小楠など超一流の人物を輩出している。役職上官学の授業を行うが、個人的には陽明学などの
自由な思想の持ち主でもある。


3rdアシ   O
昭和二(1927)年、静岡県生まれ。小説家。主な作品は「アポロンの島」、「海からの光」、
「試みの岸」、「逸民」などである。生来虚弱であり、結核のため小学校を二年間休学。青年期に
カトリックの洗礼を受けた。



・・・ご、ごめんなさい・・・


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